瞑想(メディテーション)とは、習慣化された注意、思考、感情、知覚等の精神機能について自己制御(self-regulation)できるように組み立てられたメンタルトレーニング体系の総称とします。
この訓練法が形成された歴史的な過程から、瞑想というと一般的には宗教的な行法の一つとして理解されることが多いと思います。しかし、ここでは宗教的意味合いを捨象し、わたしたちのメンタルヘルスを向上させる上で永年伝承されてきた技術群の総称としてまずは位置付けてから、お話しを進めたいと思います。この方向性についてはご批判もあるかと思いますが、みなさまのご意見に耳を傾けながら、じっくりと検証し続けてまいりたいと思います。
わたくしが、瞑想(メディテーション)を上記のように定義する理由には、2点ございます。
- ① 神経科学、脳科学領域における基礎研究の進展
- ② 日本の文化的、社会的背景
ホームページをご覧のみなさまも、「マインドフルネス」などの言葉をメディアを通して見聞きする機会が多くなったと感じているかと思います。このような背景には、①の状況があります。精神的健康に瞑想がどのような影響をあたるのか?この問いに対する科学的な論文が、毎日世界では多数発信されています。瞑想が、精神活動の座となる脳の機能や構造に変化をもたらし、ストレスや不安の低減、幸福感の向上に一定の効果があることが、近年頓に報告されるようになりました。
ただ、日本でのこの動向は海外に比べますと、およそ10年程度遅れている実感があります。
わたしたちのサイエンス・アドバイザーを務める小岩信義先生(人間総合科学大学 教授)から聞いた話です。2009年に先生がアメリカ西海岸にあるUCLAに研究ミーティングのために訪問した際に、ある著名な脳外科医が、機能的fMRIを使ってチベットの高僧の瞑想時の脳活動を研究するプロジェクトを進行していることを知ったそうです。著名なサイエンスティストが、瞑想(メディテーション)という 「あやしげな」ものを研究していることに、先生はなによりも驚いたとのことでした。それから10年経ち、日本でもようやく瞑想(メディテーション)のことを科学コミュニティでも話題にすることができるようになったと先生はお話しされています。
わたしたち日本人が、瞑想(メディテーション)について「あやしい」と感じてしまうのはなぜなのでしょうか。様々な理由を考えることができますが、日本人が永い歴史を通して培ってきたメンタルヘルスのため自己修養の知恵や技術を、現代の私たちがステレオタイプで「あやしいもの」と捉えてしまい、正しく科学的に評価することが難しくなってしまっている現状は何とも勿体ないと思います。
わたしたち日本人は、瞑想(メディテーション)という素晴らしい東洋の知恵を作り上げてきた宗教に敬意を払いつつも、その宗教的意味合いを一旦脇に置きながら科学的なメンタルトレーニング体系として、その効果を見直すことが必要な時期なのだと考えます。科学的なデータやアプローチからこのメンタルトレーニング方法や効果について、みなさまに正確にお伝えすることができればと思っています。
■ そこで…
瞑想(メディテーション)をメンタルトレーニングとして捉えた場合、このトレーニングが何をターゲットとして訓練するのかについてについて説明させていただきます(クリック >> 「脳のネットワーク」)。